2012年5月5日土曜日

蒼翔誕生記その2 (陣痛との戦い~蒼翔誕生)


5月2日(水)12時

ナースステーションで名前を名乗ると、
助産師さんが陣痛室に案内してくれる。
間に合って良かったですねと、助産師さん。
ほっとする。

陣痛室に入ると、ホッとしたのもつかの間。
カーテン越しに聞こえる妻の悶絶する声。
陣痛との戦いの真っ最中で、すでにヘトヘトの妻。
それを横で背中をさする妻の母。

妻は、その日早朝2時から陣痛と戦い始めて、
既に10時間以上、体力的に非常に消耗していた。

お腹の赤ちゃんの通り道である子宮口が
10cm空く必要あるらしいが、その時は5cmくらい。

少しずつ子宮口が開くのを時間をかけて待つしかない。

助産師さんによれば、早ければ夕方、遅くとも今日中の夜には
生まれるのではないかとのこと。

妻はへとへとで陣痛の合間に深い眠りに落ちている。
5分間隔で測ったように始まる陣痛。

13時、妻の母も朝からの付き添いでかなりお疲れなので
選手交代。2時間程度お家で休養してもらうことに。

代わりに妻の腰をさする。
水分補給が大事なので、イロハスの500MLペットボトルに
ストローをさして、時々飲ませる。
まるで介護のよう。

途中に診察をして、子宮口の広さを確認するが、
これが本当に痛いらしい。陣痛室の外の椅子で待つが、
妻の痛む声が聞こえてつらい。

16時、陣痛室に入って4時間。
妻は相変わらず5分間隔の陣痛。
自分は妻の腰のあたりをさすってあげるしかない。
長丁場になることを覚悟。

助産師さんから、トイレに行くと少し赤ちゃんが下にいって
子宮口が開くという話を聞いて、妻は痛みを我慢してトイレに行く。

17時、日勤の助産師さんが夜勤の助産師さんに交代。
夜勤の助産師さんは、妻が母親学級で話を聞いた人らしく、
非常にいい人で妻も痛みの中でもほっとしている。
助産師さんの前向きな声掛けは本当に大切。
言葉一つでこれほどまでに励まされるものかと思う。

18時、夕方にトイレに行ったのが効いたのか、
子宮口は7センチくらいになっていた。
かなり進む。

助産師さんからは9時が出産の目標という話。
終わりのない陣痛に苦しむ妻に、あと少しだよと励ます。

20時、病院に着いて8時間、ひたすら妻の腰のあたりを
さすり続けて、妻の母と選手交代。
妻の陣痛の間隔は5分から4分ちょっとくらいになるも、
陣痛の間隔は伸びたり縮んだり。少し小休止の状況。
9時の目標は難しそうだ。

後で聞いた話だが、自分の顔は真っ青を通り越していた
ひどい顔だったらしい。
休憩所でジュースを飲んで、トイレで顔を洗い、気分転換。
アキレツ腱を延ばしたり、肩を回したりする。
あと少しと自分に言い聞かせ、陣痛室に戻る。

陣痛室で辛いのがやはり妻の代わりになってあげられないこと。
何より辛い。後で聞いたところ、妻の母も、痛みがシンクロして
本当につらかったとのこと。

陣痛の開始からすでに18時間が経過。
妻の体も限界が近づいている。

21時、妻が初めて「力(りき)みたい」という。
助産師さんからはまだ力まず我慢してほしいとのこと。
陣痛の間隔もかなり短くなってくる。

21時半、診察をすると、子宮口は9センチ。
あと、1センチ。ついに来るところまで来た。
妻からも「力みたい」という言葉が多くなる。
あと少しで赤ちゃんに会えるよと励まし続ける。
妻の母も、汗が流れ落ちながらも必死に腰をさする。

21時50分、陣痛の間隔がさらに短くなり、
助産師さんがついに分娩室への移動を提案。
ついに、この時が来た。
妻はこれまでの陣痛との戦いでフラフラ。
まともに立っていられない。
妻に肩を貸し、スリッパをはかせ、分娩室に向かう。
分娩室は、部屋を一つ隔てたところにある。

22時、分娩室に到着。妻は分娩台に上がる。
立ち会い出産にはもともと妻と自分のみで臨む予定であったが、
妻が母にも一緒に来てほしいということで、3人で臨むことに。
自分にとっても心強かった。

妻の母は分娩台の妻の頭の後ろ、
僕は妻の左隣に位置して励まし続ける。

妻の陣痛も一気に間隔が短くなる。
助産師さんからは、ついに力んでいいとのこと。
医師の男性の先生も駆けつけ、ついにお産の準備完了。
医師からは、できるだけ長く力むように話がある。

妻は精一杯の力で力む。
助産師さんからはその調子との声。
妻はその間ずっと母の手を握り締める。
僕はとにかく励まし続ける。あと少しあと少し。

医師が妻に麻酔を注射する。
準備万端。

妻は本当に力いっぱい力み続ける。
すると、パンっという音がすると、赤ちゃんが出てくるときに
破るという膜がやぶれる。
一気に羊水が出る。

助産師さんは赤ちゃんの頭がみえているという。

その後、医師がさらに長く力んで!と声をかけ、
さらに妻が力み、医師がメスを入れると、
目の前に小さな赤ちゃんの姿が。

22時46分。

赤ちゃんは、少し間を置いたあと、
オギャーと泣き始める。

俺は用意していた名前、蒼翔(あおと)の名で、
妻に「あの泣き声は蒼翔だよ」と妻に声をかける。

妻は痛みをこらえ、左を向くと、
夫婦で顔を見合わせ、妻は「蒼翔なんだね」という。

後から聞いてみると、妻は無我夢中で力んでいたが、
この「あの泣き声は蒼翔だよ」で蒼翔を生んだことを
理解したようだ。

その後、助産師さんが体重を測ってくれ、
2350グラムとのこと。

助産師さんに蒼翔の体を拭いてもらうと、
俺は呼ばれ、蒼翔に妻の名前を書いてもらうように
依頼する。

初めての子供との触れ合い。

蒼翔は元気がよく、足を動かし、
なかなか俺は文字を書けない。

掴んだ足はプニプニしており、
とにかく可愛らしい。

自分の子供なんだと思うと、
どうしようもなく愛おしい。
なんとか名前をカタカナで書ききる。

妻は医師が執刀した際に、少し切ったみたいで
医師は縫っていた。
麻酔は聞いているだろうが、当然ながら痛い。

その後、蒼翔に服を着せ、妻のところに連れてきてくれた。
妻から「蒼翔、待っていたよ」を声をかける。
思わず自分も目頭が熱くなる。
俺も「蒼翔、待っていたよ」と声をかける。
そして妻にも「よく頑張ったね」と声をかける。

陣痛で苦しんでいた妻は、
産まれた赤ちゃんを前に
いつしか母の顔になっていた。

陣痛開始から19時間近く、
この小さな体で激痛に耐え、
この子を産んでくれたと思うと、
感謝してもしきれない。

「母は強し」というが、
まさしくそのとおりである。

また、「お腹を痛める」とい意味
を立ち会い出産で身をもって痛感した。

今さっき始まったばかりのこの子の人生。
これから何があるかわからないけど、
妻がこんなに大変な思いをして生んでくれたこの命を
夫である俺は、妻と一緒に、本当に大切にしていきたいと
思った。

最後に、妻の母も含め、何枚か写真を撮ってもらった。
NPOファザーリングジャパンの安藤氏の著書でもあったが、
この写真を家に飾りたいと思っている。

長い人生の中で家族の中で何があったとしても、
この時の写真を見て、この時の想いを思い出し、
互いを思いやり、幸せな家庭を築いていきたい。


蒼翔誕生記その1 (出産の兆候~病院にダッシュ)


4月27日(金)

今日は仕事は休み。
妻から電話があり、その日の病院の検診の結果の報告。
驚いたことに、病院の先生からは、子供がかなり下に来ているので、
予定日である5月17日より早く生まれるかもしれないとのこと。
早ければGW中に生まれるかもしれないらしい。

もともと5月3日からは上越に行く予定だったので、
その間で生まれたらいいなぁと漠然に思う。

一方で、いきなりの話でびっくりするも、まだ実感がわかない。
でも、早く子供に会えるのは嬉しく思う。

4月29日(日)

GWの休み前半の中日。
少し予定日が早まるとの話で多少落ち着かないが、
前日は一日読書に費やしたため、せっかくの休みなので
川崎のチネチッタで映画を見ることにした。

見た映画は、ちょうどテレビで特集していた「わが母の記」。
家族愛に感動して涙。映画館は年配のお客が多く、携帯の電源を切ることに。

映画が終わって帰り道、携帯の電源をつけると、
妻からの着信の嵐。何事かと思い、急いで妻に電話。

妻に電話すると、出産の兆候といわれる「おしるし」と思われるものがあったとのこと。
陣痛が始まる1・2日前にくるというのが一般的らしい
(人によっては10日以上陣痛が来ないケースもあるとのこと)。

あれほど先だと思っていた出産もいよいよ本番。
明日にでも生まれるかもと思うと、一気に現実味を帯びて
そわそわする。とりあえず、帰りは一蘭でラーメンぶちかます。替え玉も。

その日は緊張して朝方まで眠れない。

4月30日(月)
朝方まで全く寝れなかったため、寝不足もあり、
何か何もかも手に付けられず、とりあえず
仮に連絡があった場合に駆けつけられるようにと
スーツケースにお泊まりグッズを準備する。
特に立ち会い出産に備えて、デジカメやビデオカメラの充電をする。

5月1日(火)
GWの谷間の仕事。
職場の幹部や上司に出産の兆候があったため、
連絡があった場合には、、立ち会い出産のため、上越に行く旨を
話をして、協力を依頼。上司はみな快諾。

一方、妻も前日は一日緊張していたようだが、
この日は調子も良く、まったく出産の兆候なし。
この日は、実家の母と一緒に長野に遊びにいくなど
精力的に動き回ったらしい。
帰宅後、ふと昨年の結婚式用に作成した夫婦の紹介DVDを見る。
結婚に至るまでの苦労など、色々思い出し、涙ぐむ。
子供が生まれるのもあり、自分や妻の赤ちゃんの写真を見ると
当時とは違う視点で見てしまう。
自分の子供にもしっかりと幼少期の写真を記録として残してやりたい。
息子の結婚式、絶対に泣いてしまうと生まれる前から宣言をする。

GWの谷間の仕事をこなした俺は少し疲れたのか、
夜非常に眠く、里帰り中は毎日夜に電話をしていたものの、
その日は電話もせずに寝てしまう。

その日、23時に妻から電話があるも、全く起きることもなく、
朝まで爆睡。

5月2日(水)

出勤の準備と思って、朝7時に起きると、
5時半に妻からメールが来ていることに気付く。

夜中の2時から陣痛に悶えているとのこと。
真っ赤な鮮血も出たらしい。
必死に陣痛を間隔を測り、
その間隔が10分を切ったら、
入院するため、病院に電話するとのこと。

この妻のメールを見て、一気に眠気が覚める。

7時15分、状況を確認するため、妻に電話。
電話に出た妻は既にせっぱつまっていて、
陣痛の間隔が10分を切ったため、病院に電話をして、
入院の手配をするところであるとのこと。
また電話するのでと、焦った声で電話を切られる。

少し放心状態になるも、ついに出産だと、
慌ただしくスーツケースの荷物を確認し、
上司に仕事の電話する。

実は、その日はもともと前日も含め上司の休暇日。

7時45分、休暇中の上司に電話し、里帰り中の妻の出産に立ち会いたい旨、
相談する。

上司は休暇返上で自分の代わりに出勤することになるが、
上司は快く承諾してくれた。
本当に申し訳なく思ったが、
休暇中にもかかわらず承諾してくれた上司に本当に本当に感謝。

自分も、部下から同じような相談があったら快諾し、
頑張って妻をサポートしてやれと快く送り出してやりたい。

次に自分の両親にも出産が間近であることを告げる。
両親はびっくりしていたが、また状況が変わったら連絡すると告げる。

8時、妻からは特に再度の連絡はないが、とりあえず、
上越に向かおうと、スーツケースを片手に家を飛び出す。

8時5分、最寄りの駅に向かう途中、妻の母から連絡があり、
妻は無事に病院に入院したとのこと。
立ち会い出産ができるなら、病院に来てほしいとのこと。
ちょうど今駅に向かっている旨を伝える。

新幹線に乗るため東京駅に向かう電車の中。
8時30分に妻の母からメール。
赤ちゃんは非常にせっかちで昼か夕方には
生まれるかもしれないとのこと。

新幹線でスムーズに行ったとしても早くて
病院に着くのは昼12時くらい。
なんとか誕生に間に合うように祈る。

もともと3日の新幹線の指定席を予約していたが、前日に
乗ることになったので、9時半くらいの新幹線に予約の変更。
MAXときの2階席の3人掛けの椅子の真ん中しかないとのこと。
GWの初日に空いているのは奇跡なので即決。
違う意味での奇跡を生む。

9時20分。新幹線に乗り込むと、程なく新幹線は発車。
3人掛けの真ん中で右隣に少しセレブ風の中年の女性が隣。手には大きなバック。
座っていると何かバックが大きく動く。何かと思ったら、なんと犬。

犬は俺の史上最高に嫌いな生物。
幼少時代に追いかけられていらい生理的に受け付けない。
例えば、チワワ見ても可愛いと思うが、じんましんが出るくらい。

そんなわけで越後湯沢で降りるまで、
犬が動くのを気になりながら、生きた心地がしない。
冷や汗をかきながらの新幹線。
父親になるための試練。
大の犬嫌いに、これほどまで厳しい試練はない。

何とか越後湯沢につくと、犬から逃げるようにして
ダッシュではくたかへ。
無事に自由席に滑り込み。直江津に向かう。

直江津に着いたのは、11時40分。
なんとかスムーズに着く。

タクシーで病院へ。
タクシーの運転手に妻の出産の立ち会いをする旨
話すと、運転手の50代前後の女性も自分の娘が先月
出産したとのこと。何かかなり盛り上がる。
不思議な縁もあるものだ。

途中、コンビニによってもらい、
おにぎりと飲み物、髭剃りをゲット。長期戦をにらみ
準備をする。

病院に着いたのは12時すぎ。
まっすぐに産婦人科に直行。

2012年4月28日土曜日

ブログ始めました。

平成24年5月2日(水)22時46分。
ついに待望の第一子、蒼翔(あおと)が誕生。

非常にいい機会なので、
twitterやFacebookに加え、
ブログを始めたいと思う。

このブログでは
twitterでつぶやいている読書記録、
蒼翔の育児奮闘状況や
仕事の関係で考えたことなどを
書いていきたいと思う。

まずは第1弾として、
蒼翔の立ち会い出産について
備忘録的に書いてみたい。